新聞の切り抜き

戦後大衆芸能をふりかえる
澤田隆治さんのテレビプロデューサーより。

「芸人がテレビの主役に」

明石家さんまは、笑福亭松之助の弟子で、一応は落語家ですが「花王名人劇場」がスタートしたころは、阪神タイガース小林繁投手の形態模写でうけていました。私は彼の落語を一度も聞かないまま、1980年4月漫才ブームを決定的にした仁鶴・やすきよ・三枝の「爆笑三冠王」のオープニングに出演させました。
そして、その後の「漫才ブーム」に乗せて、さんま、紳助・竜介コント赤信号を、「お笑いニューウエーブ」という企画で押していき、彼らは、アイドル的な人気を得るようになりました。さんまは、82年の「花王名人大賞」で新人賞を受賞。天性のしゃべくりで漫才ブームが去った後も、テレビを席巻(せっけん)し、ドラマ「男女7人夏物語」で大ブレークします。
続く